実は違うらしい


高校時代に所属していた弓道部の合宿所が甲府市にあったことから毎年武田神社に必勝祈願をしていて、甲斐の戦国武将、武田氏には非常に親近感があります。
この前の日曜日は武田家が滅亡した要因となったとされる裏切り者の武田家重臣小山田信茂の居城である岩殿城へ歴史探訪。かなりの要害の城で高低差が激しいところです。「守に易し、攻めるに難し」といった感じです。川と山に守られていてさらに眼下に甲州街道があり、交通の要衝であることがうかがえます。
小山田信茂、裏切り者と世間では認知されていますが、この城下町大月ではちょっと違った認識のようです。
武田家滅亡を悟った勝頼がこれ以上城下町での戦闘を長引かせない為に重臣である小山田信茂に依頼してわざと裏切ったように仕掛けさせたとのこと。北条家から嫁いだ夫人を逃がすためにわざと国境の大月を選んだとも。ただ、勝頼の夫人は自刃を選び、北条家に戻ることはありませんでした。
歴史にはいろいろな説があるのですね。岩殿城、訪問して良かったです。城の麓に資料館がありますので是非行ってみてください。
昼食は大月にある吉田うどんの店でうどんを頂きました。馬肉がたくさん入っている吉田うどん、好物の一つです。
最後に、勝頼が武田家を滅亡させた要因として功を焦って信玄の遺言である3年は内政の注力しなさいという指示を聞かなかったとあります。時には動かざること山のごとしということですね。